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Editor: ponkota
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Profile
東京都在住の三十代。 自営業。HPに関する仕事。2009年、東京マラソンで完走。
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以下は私が20歳頃の旅行談。
その3「バスによるアメリカ横断編・前編」(出発前~バス乗遅れ事件)
その4「バスによるアメリカ横断編・後編」(バス乗遅れ事件の後)
その1「北海道を目指したが挫折編」
その当時、2年半程勤めたバイトを8月いっぱいで辞め、直後の私は某ロールプレイングゲームに熱中していた。そのゲームは1週間程でクリアしたのだが、ふと我にかえった。
「こんなことをするためにバイトをやめたんじゃねえ!」
いてもたってもいられなくなった私は、とにかくどこかへ旅行しようと思った。決めた。行き先は北海道。決めた理由は行ったことがなかったから。一応、寝袋を買った。リュックサックに寝袋と洗面用具等を詰め込み家を出た。移動手段は主にママチャリ。
確か昼過ぎぐらいに家を出たと思う。北へ向かった。ママチャリで2~3時間ぐらいこいで、所沢の南あたりまでたどり着いた。「今ならまだ帰れる・・・」と一瞬、頭をよぎったがそれを無視してこぎ続けた。そしてさらにこぎ続けた。埼玉に入ったあたりでコンビニに入って地図を見た。北海道に行くためには北を目指すのだが、高速道路の横に走ってる4(3?)号線なら真っ直ぐ北に向かってるな・・・。
今度は、進路を東北東にしてまたこぎ続けた。休憩は多分3~4時間おきぐらいづつにとっていたと思う。そして夜中になり、栃木の南あたりまでたどり着いた。4号線にもたどり着いた。この道を真っ直ぐ行けば、多分結構距離を稼げるだろう・・・。少し希望がわいてきた。
しかし、真っ直ぐな道は退屈なものである。夜中だから当然人も歩いていないのだが車はバンバン走っている。寂しいもんだ。あしたのジョーを20回ぐらい連続で歌いながらチャリをこいだ。しかも大声で。多少、気は紛れたがそれでも1~2時間にもならない。その後は無言でこぎ続けた。睡眠はとらなかった。
朝ぐらいに栃木の真ん中ぐらいまでたどり着くことができた。栃木は縦に長く、思っていたよりも時間がかかった。
この先も、こんな感じでタンタンと進んで行けるだろう。と思っていたが、そうは問屋がおろさなかった。というのも、関東は比較的、平地が多い。山があったとしても、上りきればその後は、上った分だけ下るのである。しかし、栃木の半分から北はそうではなく、上り坂を上りきると今度は平地が続きしばらくするとまた上り坂が続くのである。
日本は、基本的に山が多いと身をもって実感した。坂の傾斜は1~3度くらいだったかもしれないが、さすがにウン時間も上り続けると体力は非常に消耗する。それに当たり前だが、平地より進むスピードは遅くなる。
またサドルのせいだろうか、ケツが擦れてしまって非常に痛かった。痔になるかと思った。それでもがんばってこいだ。なんとかこいだ。昼の3時頃、少し仮眠をとることにした。30分程、アスファルトの上だったがガッツリ寝た。起きると全身が筋肉痛だった。
起きてまたこぎ続けた。夕方過ぎぐらいに福島の南のあたりまで着いた。
ナメていた、日本をナメていた。当時(今も?)ヘタレだった私は、もうここが限界だと思った。そこで実家に電話して、福島に住んでいる親戚の連絡先を聞き、その親戚に助けを求めた。
「今、福島の〇〇なんだけど、迎えにきてもらえませんか?」
「はぁ?」
「いや、チャリでここまで来たんだけど・・・、助けて欲しいと思って・・・」
「えぇ?!」
こうして、突然の電話にもかかわらず、親戚は迎えにきてくれた。チャリものっけてくれたので助かった。本当に親切な親戚で助かった。3日程、そこに滞在し、電車で帰ることとなった。(チャリは、業者に頼んで東京まで送った)
かくして、人生初の長距離チャリ旅行は終了した。(走行時間、約30時間)
その2 「北海道到達編」
福島までチャリで行きコリたはずだった。筋肉痛で体中バキボキになり、ケツもすごく痛くなりコリたはずだった・・・が、
翌年になりリベンジしようと、フツフツと闘志がわいてきた。結局、再度、北海道を目指すことを決めた。福島から帰った後、それほど時を経ずにコンビニのバイトを始めた。夏を過ぎ、店長に「まとまった休みってとれますかねぇ?」とダメモトで聞いたところ、10月の始めならいいよ、とのこと。ということで10月のはじめに出発することにした。
前年の経験から、ちっちゃい座布団を買った。余談だが、この座布団のおかげで旅行が終わってもケツはいたくならなかった。
某年10月10日の午後7時に、北海道へ向かって出発した。今回はとりあえず新宿へ向かった。新宿までは約3~4時間ぐらいで着いた。それから北へ向かった。
新宿からしばらくチャリをこいでいると、取手という所まで着いた。よく周りを見るとトラックがいっぱいある。
「これはチャンスか?」と思った私は、そのうちの何台かのトラックの扉をいくつか叩き、数人の運転手の方と、北へ向かうか?ということと、乗せてもらえるか?ということを尋ねて回った。
「福島までだけど、それでよかったら乗せてあげるよ。」 「ぜひ、お願いします!(ラッキー)」
聞いてみるもんである。自転車をトラックの荷台に乗せ出発した。車内では、運転手さんの話しをず~っと聞いていたが知らない間に寝てしまっていた。朝の5~6時頃福島の原町というところについた。そこで降ろしてもらった。
降ろしてもらった所はだだっ広い道路で、ぽつ~んと自分一人だけだった。すごく寂しい気持ちになったが、再びチャリをこぎだした。そこからはホントにひたすらこいだ。途中本屋に立ち寄り、北海道までの経路を少し考えてみた。当初、青森まで行かないとフェリーに乗れないかと思っていたが、仙台からもでているらしい。そういうことで仙台へ向かうことにした。
そして、原町からチャリをこぎつづけて、夜の9時ぐらいに仙台のフェリー乗り場に着いた。今日はここで、寝袋で一泊することになるかな、と思っていたが、夜10時ごろに出るフェリーがあるという。超ラッキーだった。迷わずそのフェリーに乗った。結局東京から丸一日で仙台までたどりつき、夜は野宿ではなく、フェリーで寝れることとなった。フェリーの寝る場所は乗客みんなで雑魚寝状態だった。寝れるかどうかちょっと心配だったが、次の日の朝までガッツリ寝た。
夜、仙台を出航して、12日の朝9時ぐらいには、苫小牧についてたと思う。
「やった~!去年のリベンジを果たしたぜ!」
やればできるもんである。ん~でもこれからどうしよう・・・。またまた本屋で立ち読みをしてみた。約2日間で北海道まで来た。北海道を一周しようかとも考えたが、時期は10月である。過ごし易い8月ならともかく、10月の北海道で一周を計画するのは無謀な気がした。じゃ~どこに行こうかと地図を眺めてると、札幌は苫小牧からそう遠くなかったので、札幌に行く事にした。
そうこうする内に昼前になっていたのではないだろうか。できれば夜になる前に札幌まで行きたい、と思った。例え国道であっても田舎の夜道はチャリではちょっと怖い、そういう思いもあった。ちょっと急ぎ気味で札幌へと向かった。また、ひたすらこいだ。なんとか夕方ぐらいに札幌に着いた。
今日は初野宿か?手持ちの金は多く持ってこなかったし、帰りのフェリー代も残しておかなければならない。でも一応安宿を探してみた。記憶は定かではないが、また本屋に行ったのだろう、一件、札幌駅近くの安そうなユースホステルを見つけた。なぜか、夜10時ぐらいにその宿にいったのを覚えている。ドアは開いていた。
「すいませ~ん」
なんの返事もない。奥の食堂らしきところは明かりがついていた。おそるおそる近づきながら、再び 「すいませ~ん」 食堂には、宿泊客らしい若者が3~5人いてわきあいあいしていた。
「あの~、ここのご主人はいませんか?」
「さっき自分の家に帰ったみたいだよ。」
「そうですか。ここに泊まるにはどうすればいいんですかね~」
「う~ん、もう誰もいないからね~、でも食堂にいる分には大丈夫じゃないかな~」
「あ~そうですか~」
野宿は以外と体力を使う。私はいすに座り、テーブルにつっぷして、寝ることにした。次の日は朝早く宿を出た。
今日はどうすべ~・・・。また本屋に行った。地図を見ると小樽はそんなに遠くない。この日はチャリを置いて、電車で小樽に行く事にした。
札幌から小樽への電車は、海岸沿いに走っている電車があるので、それに乗ってみた。電車の窓からの景色は本当にきれいだった。テレ朝の、世界の車窓から?並みにきれいだった。
小樽に着いた。駅のそばにうに丼が食える店があると書いてあったのでそこに行ってみた。店に入り、うに丼の値段をみると「時価」と書いてある。少し怖かったが、ここまできて食べなかったら必ず後悔すると思ったので頼んだ。やっぱりうまかった。
その後は、小樽で何をしていいかわからず早々に札幌に帰った。(小樽に運河があるとこのときは知らず、東京に帰ってからその存在を知った。事前の下調べはしたほうがいいようである。)
実をいうと、この日は少し具合が悪かった。旅行先で体調を崩すとドツボにはまりそうな気がしたので夜は、前日、お世話になったユースホステルにちゃんと泊まることにした。結局このユースホステルには3泊することになった。
以後16日に苫小牧に向かうまでの、時間・順序については正確なことは覚えていないが、覚えていることだけを書いてみようと思う。
某日夕方銭湯に行った。番頭さんと話し込み、旅行中だということを伝えると、夏だったら自転車の旅行者もいっぱいいるんだよね、とかいろいろ話を聞けた。コーヒー牛乳をサービスでもらった。
某日昼、時計台に行こうと思った。札幌駅のすぐそばだとわかった。チャリで探して、「これかな?」という所に辿り着いた。そこは時計台ではなくテレビ塔だった。
東京タワーのような建物である。高さ147m、展望台は98mぐらいの所にある。「なんか変だな?」と思い、お店の人におそるおそる聞いてみた。「ここって時計台ですよね?」「?。ここはテレビ塔だよ。今、時計台は補修中だよ。」思いっきり間違っていた。でもテレビ塔も、札幌を一望できたしそれなりに面白かった。
札幌駅からテレビ塔に向かったわけだが、時計台の真横を通り過ぎていたのである。再び時計台に行ってみると、時計台は白いシートで覆われていた。 時計台の前に、時計台ラーメン?という店があったのでそこでラーメンを食べた。うまかった。
某日夜のこと。ユースホステルは、安宿だけど相部屋である。その相部屋でK田さんという人と知り合いになった。ということで夜、飲みに行った。またK田さんだったか覚えていないが、風邪薬をもらって飲んで寝た。この風邪薬が効いたのか、はたまた、ちゃんとした布団で寝たことにより体力が回復したのか、どっちかわからないが、体調が悪いのは見事に治った。
そのほか気づいたことだが、札幌は札幌駅を中心に碁盤の目のようにきれいに区画されていて、住所とかなれると非常にわかりやすい。あと、みんな薄着だった。自分はジャンパーを着てても寒かったのだが、Tシャツの人もいてビックリした。
こうして16日に帰ろうと思ったので、また苫小牧に向かった。夜は初寝袋で苫小牧駅で寝ることにした。10時か11時ぐらいに寝袋に入ったと思う。そしてウトウトしだした頃、警察の人が近づいてきた。「あ、追い出されるかな?」と思ったら、「となりの駅は、雪ふってるからね。凍死しないようにしてね。」「・・・あ、はい・・・。」
17日、凍死せずに朝を迎えることができた、というか、そんなに寒くなかった。
苫小牧からフェリーが東京まででてることを知ったので、東京まで乗ることにした。多分、出航は昼頃だったのだが、丸一日以上、フェリーで過ごした。
18日の夕方、東京に着いた。金はほとんど尽きていたが、もうここまで来れば安心だ。そして、フェリー乗り場から5時間近くかかったが、無事自宅に帰ることができた。
(出発日10月10日、帰宅は18日)
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